聴覚障害者のきこえ方とは?自分の声は聞こえるの?

読者対象
  • 聴覚障害という障害のイメージが分からないという人
  • 聴覚障害者との付き合い方に悩みがある人
  • 科学的に聴覚障害という状態がどういうものか気になる人

健聴者から見た聞こえないという不思議、聴覚障害者の日常

聴覚障害とは?もう一度おさらいしてみよう

こちらの記事では聴覚障害者自身が自分の聴覚障害について説明をしています。

【イラストで解説】聴覚障害者が説明するわかりやすい「聴覚障害とは?」

医学的な聴覚障害の区分やその特徴についてはこちらの記事をご参照ください。

聴覚障害の定義・その種類はどれくらいあるの?

聴覚障害といっても聞こえ方には無限の色があって

突然ですが「白と黒の間に無限の色が広がって」と言う歌詞をご存知でしょうか。

Mr.Childrenの「GIFT」という歌の歌詞ですが、健聴者には馴染みのある音楽も全くきこえない人であれば馴染みのないという人もいます。しかし、聴覚障害といってもなんとなく音が聞こえる人も多いので音楽が好きという人も多いのが面白いですね。

みなさんにも無限の色があるのと同じように「聴覚障害」と一言に言ってもその程度や状況はとても多様です。生まれつき全く聞こえない人から、おとなになってから徐々に聴力を失っていった人まで、たとえ同じ「身体障害者手帳2級」という手帳を持っていたとしても全く違った境遇、違った感覚を持っています。

せっかく関心を持ってくださった方にはできる限りの言葉を届けたいのですが、言葉だけで伝えてもやっぱりわからないと思いますしとても難しいことなのだと改めて思います。

だからこそ、まずはみんなが興味を持ってくれるという方法をつかうことも大事で、映画や音楽や絵画やアニメやマンガやゲームを通してこそ何かを伝えることができるんじゃないかと思ってます。

Oh!みみなびも気楽に読んで頂きながら、NHKの障害者バラエティ「バリバラ」並に健常者と障害者の常識や非常識をやさしく切り開いていくようなメディアになれば良いなあと思います。

耳が聞こえる人を健聴者という聴覚障害業界用語

さて、本題に戻ります。身体障害者という視点から見れば「健常者」と言いますが、聴覚障害者から見た耳が聞こえる人のことを「健聴者」といいます。

聴覚障害者の世界では普通に使われている言葉ですが、世間一般には使わないですよね。

世の中には耳が聞こえる人のほうが多いのですが、その聞こえる人の中にも聞こえづらい人はいます。ただ、ご高齢の方のように少し聞こえづらくても、周りの家族や職場の人がそれをわかっていて、ちょっと聞き返すくらいでお互い楽しくやっていける程度に済むのであれば、障害者ではありません。

やはり、ちょっと聞き返すくらいでは済まない程度に聞こえない人、聞き返すことができないまま過ごしてしまうことが普通になっている人は聴覚障害者なのだということは健聴者の皆さんも改めて心の片隅においておくべきかもしれません。

聴覚障害があっても究極的には人と人

障害があったとしてもできるだけ自力で頑張りたいとすることはとても大切なことです。

誰かが助けてくれるのは当たり前だと思ってしまうと、一見その人にとっては良いのかもしれませんが、そのやさしさが救うのはその瞬間だけであって、誰かの助けを得なければ何もできない無力さが募るだけです。

こうした罪悪感は本来感じるべきものではないので、障害があっても法律や制度として困難ではなくなるようするのが本来あるべきです。実際これについていろいろな障害者団体さんが努力されていますし、少しずつ改善されていくものと思います。

しかし、そういった外的なものでは解決できないもう一つの困難は、「周囲の人の理解や気持ちをどうするか」という点です。

そもそも人と人の関わりは自分から伝えなければ周りの人はずっと勘違いしたまま過ごしてしまいがちです。障害の有無を問わず人間というところでは同じです。

「あの人口調がこわい、私を嫌いなんだ」と勝手に思ってたら、実は優しい人で、しかもものすごく気にかけてくださっていたなんてことはよくあります。

とある重度の聴覚障害者の方に、職場での人間関係や仕事について聞いてみたところ、入社してすぐ聴覚を使わなくてはならないしごとで当然失敗し、どうしても理解されず苦しみ、肉体的精神的に追い込まれ、できる仕事がなくなったものの自分のできる仕事がないか探したそうです。

その結果、はじめはゴミ拾いなど誰でもできる仕事をしているうち人事の方の目に止まり、自分の障害にあった仕事に異動してからはうまく仕事もできるようになり会社に馴染めているそうです。

自分から腐ってしまうと、周りの人も関わりたくなくなってしまいます。「仕事だからこれをやってればいい」ということはなく、何とか自分のできることはないか聞いて回ったり、コツコツやったり、あえて同じ障害者ではなく、人望の厚い上司などに相談したりすることも大事なことかもしれません。

それでも仕事がなく、自分にも関心を持ってもらえず、自分ができることが生かせないのであれば、「自分は何をやりたいのか?」「今のスキルでそれはできるのか?」「足りないなら何をしなければいけないのか?」しっかり問いかけてみても良いかもしれませんね。

とはいいつつもここまで社会の中の自分とちゃんと向き合える人は全人類でもごく一部だと思います。私もまだまだ他責です。ただ自分を責める必要はないです。こころに余裕がないのであれば一度休んでみてもいいんじゃないでしょうか。人生はまだまだ、ゆっくりと生きましょう。

聴覚障害者の人はどんな聞こえかたがするの?

それぞれ感覚が全く異なるというのもありますし、どんなきこえ方がするのかを言葉で説明することはとても難しいのですがちょっと聞いてみました。

「こんなかんじなのかなぁ」と想像していただければそれだけでありがたいかもしれませんね。

軽度難聴の場合

軽度難聴の場合ちょっと音が聞こえにくいということで「モニョモニョ」している感じがします。

耳に水が入ってしまったことはありませんか?その時の音はなんだか「モニョモニョ」していませんでしたか?加齢性難聴の場合は耳の「有毛細胞」という細胞が破壊されてしまっているので音を捕まえることが難しくなるのです。

騒がしいクラブやパーティーなどで聞き取りにくいと思う状況は、軽度難聴の人の聞こえ方に似ているかもしれません。聞こえにくいので音が小さいと思ってしまったり、話し声が大きくなったりします。

高度難聴の場合

高度難聴のレベルではほぼ日常音は聞こえていません。

高度難聴というのは聴力レベルが70~89 dBHLということで一般的には高出力補聴器の装用が必要です。このレベルでは補聴器なしでは聞き取ることが極めて難しいです。聴覚障害者手帳は6級もしくは4級に該当します。

まれに聞き慣れた音などは耳に入ることもありますがあまり気にしすぎて、空耳が聞こえてくることもあるようです。

元である程度大きな声で言ってあげればかろうじて聞き取れるレベルなので、お年寄りで耳が遠い人の中でもかなり聞こえにくい方であると言えます。

人によっては耳鳴りがすることもあります。その時は聞こえないというだけでなく「ピーッ」という高音のブザーがずっと鳴っているような感覚に陥ることもあるようですが、もちろん現実には鳴っていません。

重度難聴の場合

このレベルの場合、補聴器や人工内耳なしではまず聞こえません。

聴力レベルが90 dBHL以上の重度難聴は補聴器の限界と言えます。このレベルの多くの人は読唇や手話を用いますし、乳幼児であれば人工内耳の装用を検討します。障害者手帳は3級もしくは2級となります。

耳元で大きな声で言った場合はなんとなく何を言っているかわかることもありますが、かなり耳に近づけてようやく微かに何か音がするかもしれないというレベルなので日常生活では補聴器や人工内耳なしでは聞き取りが困難です。

もものすけのきこえ方

ぷよし田

もものすけはどんなふうに聞こえるの?
自分のきこえ方は補聴器によって変わっちゃうんだよね。風呂で水の中に耳を入れると何か音がきこえたりすることはあるけどそのくらいかなぁ。

もものすけ

ぷよし田

補聴器によって自分のきこえ方が変わるのか〜
自分の場合少ない聴力で聞き分ける聴能訓練というのを小さいときに徹底的にやったから、聴能能力が発達してるんだと思う。

補聴器を変えた時、始めはきこえ方が違うから聞こえないのだけど、段々と耳に入ってくる音を自分の音として脳が感じられるようになるので早いと1週間位で新しい補聴器に慣れるよ。自分の音や変な音みたいな「基準」がないからこそ順応性は高いかも。

もものすけ

ぷよし田

耳元で話されたりするとどんな感じなの?
音が聞こえるというよりも、息とか気配でくすぐったく感じる。振動みたいなのが鼓膜に届いてる感覚はあるんだよね。

感音性難聴だときこえてないだけで耳の機能自体は正常なこともあるから、大声で耳元で叫ばれたりしたら鼓膜がやぶれたりするかも。

直接耳で聞こうとするとやっぱり補聴器を通して聞くよりもぼやけてる感じはある。やっぱり自分の耳で聞く音は、普段補聴器を付けて聞こえる自分の音ではないという感じかな。

もものすけ

聴覚障害者は自分の声は聞こえるの?

多くの場合聴覚障害者は自分の声も聞こえません

重度の聴覚障害者の多くは自分の声がきこえず正しい発音を直したりできないため、長い間「喋れない(ろうあの「唖」)」人とされていました。しかし、補聴器の性能が向上し、80年代には人工内耳が登場し克服されつつあります。(もちろん完璧なものはないので障害が無くなったわけではありません)

自分の声を聞くためには鼓膜や耳小骨等、音を伝える機能に異常がないこと、そしてその先の蝸牛や聴神経に異常がないことが必要です。

前者に異常がある場合「伝音難聴」、後者に異常がある場合「感音難聴」、両方に問題がある場合を「混合難聴」といいます。聴覚障害者の多くは混合難聴であり原因が特定できないものもありますが、内耳機能に何らかの障害があると考えられています。

みなさんは自分声を録画・録音したことありませんか?

「自分で聞いてる声」と「録音した自分の声」って違いますよね。これは「空気を通して鼓膜に届く音」と「体を通して届く音」が違うからです。

空気を通して聞こえる音は、耳の鼓膜に届き、耳小骨をとおして蝸牛に届きます。一方で自分の声は骨を通して直接、耳小骨や蝸牛に届きます。

音の伝わり方が違う2つの音がミックスされているのが「自分が思う自分の声」で、普通に耳から聞こえてくる声だけというのが「録音したときの自分の声」なのですが、そのどちらのルートから音が届いても、最終的に蝸牛や聴神経に音として感知されなければ聞こえないのです。

いずれにしても聴覚障害者の多くは蝸牛もしくはその後の聴神経や脳機能に障害があるため、自分の声はもちろんきこえないということになります。

感音性難聴の場合は骨伝導でも聞こえるわけではない

つまり一般的な補聴器である「気導補聴器」がダメなら「骨伝導補聴器」なら良いと思うかもしれませんが、そのきこえない原因に「感音難聴」がある場合はあまり効果が見られないこともあるのです。

既存の補聴器の調整が難しいのは「伝音難聴」による聴力ロス分と「感音難聴」による聴力ロス分の両方を補う必要があり、かつ人間の聴力の限界を考慮して可能な限り生活できるようにフィッティングする必要があるからです。

補聴器というと「音を大きくする装置」というイメージがあります。確かに音を大きくすれば聞きやすくはなりますが、ライブや映画館に行った後は耳が疲れてしまったりしませんか?耳には受け入れられる音量に限界があるので最大限音を上げてしまうと耳が耐えられないのです。

今は「人工内耳」のように電極を直接蝸牛に埋め込むことで、感音難聴のロス分を補うことができるようになりました。蝸牛の機能に問題があるのだから直接情報を送ることで、聞こえるようになるというわけです。

音として届くということ、音を脳が「音」と認識すること、意味のある音として認識できることというのはまた違っているのですが、兎にも角にも長くなりますので、人工内耳についてはまたの機会に利用者の声も含めてご紹介したいと思います。

なぜ手話を使う人と口話をつかう人がいるの?

聴覚障害者は手話を身につけることができればそのほうがよりコミュニケーションができますが、やはり日常的には口話が使えたほうが便利だということで併用していることが多いです。

そもそも、身体障害者手帳を取得するレベルほど聴力が落ちていない人は補聴器で聞こえるようにされていることが多いので手話は使いません。

また手話や口話ができる・できない、したい・したくないという理由には、その人の症状の違いや補助装置の有無、家庭の生育環境、教育歴、過去の体験、手話を用いるろう者コミュニティとの精神的な近さなども影響しています。

聴力のレベルでは「ろう」と言われる人でも、親がろう者の場合は生まれつき手話のネイティブとなりますが、皮肉なことにもかつてはろう学校でも手話を禁止されていたこともあり、特に親が健聴者であったり家庭や学校に手話ができる人がいない場合は読話(口の形で読み取ること)・口話(自分の声で発話すること)をつかう機会が多かったのです。

世の中には当然健聴者が多く、日常的なあらゆる場面が聞こえることを前提としているため、聴覚障害者も毎日を生き抜く術として「絶対に手話しか使わない」という方は多くはないです。逆に「健聴者と生活しているので手話は使わない(使えない)」という方は多いと思います。

教育や医学という視点からは、補聴器の効果が出ないレベルの聴力(ろう)の場合は言語発達が始まる小さなうちに人工内耳の手術を受けることを推奨されますし、そうでない聴覚障害者も残存聴力を活用する方向で訓練を受けることになります。

しかし、書籍「筆談ホステス」の斉藤さんやマンガ「聲の形」の西宮硝子のように、訓練を受けても読話や口話が完璧にできるわけではありません。親や先生の地道な指導と厳しい訓練に聴覚障害児が耐えても完全に克服できるわけではないということもまた知っておく必要があります。

そのため聴覚障害者の中には手話という言語を身に着けてから周囲の聴覚障害者とのコミュニケーションの楽しさに気づき、手話だけで生活を過ごしているという人もいます。

このトピックは教育の変化や医学の発展、そして個人の背景などが複合的に影響していることであり、どちらが正しいとか、聴覚障害者はこうあるべきということは一切ありません。ただただ、様々な背景があってその人の表現に至っているということと思います。

Oh!みみなびでも、手話を使っていますが人工内耳利用者もいれば補聴器利用者もいますし、ろう学校、特別支援学級、普通校、読話・口話のレベルも様々です。一例を取り上げてもあくまでその人の一例ですので、一般的な答えはなかなか出ないのではないでしょうか。

それでも医療や技術の進歩によって全体として少しでも多くの人が生きやすくなるといいですよね。違いがあるのは障害者であろうと健常者であろうと当然なので、人と人の関係としてお互い尊重して、素直に付き合えるときっと幸せになるんではないかなと思います。

2019年3月29日一部表現修正

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