聴覚障害者が孤独とどうやって向き合っていくか

なぜ聴覚障害者は孤独感を感じるの?

耳が聞こえないことが人間社会では大きな障害

聴覚障害者は目に見える障害ではありません。

そのため、肢体不自由や視覚障害などに比べるとわかりにくい障害です。
しかしながら生活において重大な障害であることには違いありません

「なぜ聞こえない人の障害がそんなに深刻なのか?」
確かに眼が見えるわけですし、体が不自由なわけではないので、
健常者から見れば聴覚障害が他の障害と比較したときに重大に感じないかもしれません。

耳が聞こえないということで、
一番わかりやすいのは聞こえないことで危険が迫っていても気づかないことです。

類人猿だった頃はライオンなどの猛獣に襲われそうになっても気づかずに、
食べられてしまったかもしれませんが、現代ではそのようなことはありませんよね。

強いて言えば自動車などの交通事故に合いやすいと考えられます。

それ以外に何が障害なのでしょうか。

それは「人間だからこそ耳が聞こえないということは深刻」なのです。
かつては「ろうあ」ということばがあるように、耳が聞こえない=喋れないことでした。

これは耳から音を聞いて言語能力を身につけることができないからです。
自分の声が聞こえなければ修正するのも難しいというわけです。

今では補聴器や人工内耳という技術によって聴力をある程度回復させられます。
しかし、これも完璧ではないので聴覚障害としての不自由さは残り続けます。

このように、耳が聞こえない(にくい)ということは会話を困難にします。
近所付き合いもできず、友達と交流することも難しい。

最も身近な家族ですら、会話することが難しくなります。

つまり、人間らしい生活をおくる上で必要不可欠なコミュニケーション手段を、
身体的不自由によって残ってしまうのです。

これこそが聴覚障害の根本的な深刻さとなっているのです。

そして「目に見えにくい障害」は一見障害者っぽくないために、
健常者の理解を得にくく、誤解や勘違いを生じやすいため生きづらさを強めます。

なぜ人類はコミュニケーションするのか?

ちょっと歴史と科学を紐解いてみましょう。
人類の歴史においてコミュニケーションは超重要な鍵だったと言えます。

今でも動物は鳴き声でお互いに危険な動物から身を護りますが、
人間も同様に類人猿だった頃は簡単な鳴き声でコミュニケーションを取ったでしょう。

しかし、人類は言語というものを発明しました。
共通のコミュニケーション方法を編み出すことでより複雑な情報を扱えるようになりました。

それは、最初は火の起こし方だったり、
遠方の攻撃的な部族の危険性だったりしたでしょう。

そうした「情報」を扱えるようになったことでもう一つできるようになったこと。
それは「協力」です。

お互いに意思疎通ができないときは、自分の利益を守るのに必死だったかもしれません。

しかし、「あいつは裏切る」「この人は協力できる」ということを、
単なる個人的な経験ではなくことばで伝えられるようになったことで、
協力して大きい果実を手に入れることもできるようになりました。

つまり、人類という種は、獣のように自分の利益を追求しようとする傾向ではなく、
社会的に協力する能力を原動力にして進化を成し遂げたというわけです。

なぜ聴覚障害者は孤独感を感じやすいのか?

これはあくまで私感の粋を脱しないことを始めに申し上げておきます。

孤独には「単に一人でいること」以上に感情的な孤立感がセットで含まれています
例えば、なんらかの要因で他人から「隔離」を強いられた場合は、
社会から疎外されたことによる怒りや孤独感を感じるでしょう。

そして、何らかの差別などにより社会的に周囲から避けられている「疎外」があれば、
明確な理由すらない理不尽さによる怒りや孤独感を感じるでしょう。

単に一人になっている「孤立」は自主的に孤立している場合は孤独感はありませんが、
他人の気を引くために孤立したりする場合は孤独感を感じるでしょう。

これらは英語では「solitude」で物理的に孤立しているという意味です。
一方で「loneliness」は感情的な「人恋しい孤独」という意味合いです。

聴覚障害者に限らず、障害者は社会的に明示的ではないにせよ、
「隔離」や「疎外」を強いられることがあります。
まず、その意味で障害者は「孤独」に陥りがちであるといえます。

さらに聴覚障害者に関して言えば、言語による他者との交流による情報交換や、
仲間意識、連帯感の醸成が難しいことから物理的に「疎外」されやすく、
さらに、親しい人や愛する人とのコミュニケーションにも困難があります。

その意味では「人とつながりを持ちたいのに持てない」という、ロンリネスと、
社会的な断絶からくるソリチュードが合わさって、
健常者と比較しても一層孤独感に苛まれる場合が多いのではないでしょうか。

孤独感は一人で寂しいと感じること

一人だから孤独なんじゃない

「友達がいたら孤独から開放されるのになぁ」

そう思ったりすることありますよね。
しかし、孤独感というのは愛する人や友人がいても癒えるものではありません。

誰かと遊んだり飲んだりする人がいるかぎり決して一人ではないはずです。
人によってはクラブやダンスなどで気を紛らわせたり、
行きずりの恋や一夜限りの関係を持って紛らわせたりします。

しかし、それで孤独感から開放されることはまずありません。

実は、孤独を感じている若者を対象にした研究では、
実際に一人で過ごす時間の長さや身長や魅力、知性、教育、体重などにおいて、
もっと他人とつながりを感じられている人と大差がなかったのです。

そして孤独を感じていても他の人と全く遜色なく社交的でだったり、
コミュ力が高いからと言って孤独ではないとは限らないし、
その逆もまた真なのだということもわかっています。

よって、問題が生じるのは、
「孤独感のせいで本来の社会的技能を発揮しづらくなった場合」なのです。

ちょっとむずかしいかもしれませんが、よく理解してほしいのは、
一見して社交的であろうがなかろうが、孤独感を感じるかどうかは人による。
だから、誰かを見て羨ましいと思ってもその人は孤独と戦ってるかもしれない。

人を見て自分を卑下したりより孤独感を強めたりするのは、
自分が勝手にそう「解釈している」からであって、
本当にそうであるかどうかなんてこれっぽっちもわかってないのに、
自分を自分で孤独に追い込んでいる可能性が高いということです。

孤独感を覚える人は決して少なくない

孤独感についてさらに客観的な証拠を紹介することもできます。

「自分だけが孤独なんではないか?」

そう思ってより一層、引きこもってしまったりすることがありますよね。
しかし、実際のところ意外と多くの人が孤独感を感じています

研究によれば、常時人口のおよそ20%が強い孤独感を覚え、
それが人生での不幸せの大きな原因となっている。

この数字は、社会的な孤立が高血圧や運動不足、肥満、
喫煙に匹敵するほどの影響を健康に与えることを思えば、
いっそう深刻であると指摘されています。

近年は核家族化や都市化によって地域とのつながりが薄れ、
ソーシャル・キャピタルが減少していることも孤独感を覚える一要因になっている、
のではないかと考える研究者もいます。

時代の変化によって人との関係性が薄くなっているのは事実で、
それを多くの人が孤独感として感じているということもまた事実です。

決して自分ひとりがそうなわけではない。
隣りに座っている人もまた孤独感を感じているかもしれないんです。

孤独の対義語は「連帯」「つながり」?

ちょっと考え方を変えてみましょう。
孤独の対義語は何だと思いますか?

孤独は英語で「solitude」または「loneliness」ですが、
決して「isolation(孤立)」ではありません。
孤独感というようにあくまで一人でいることの感情的なものを指しています。

つまり、一人だから孤独なのではなく、一人だと「思う」ことが孤独なのです。
だから「連れ立つ」とか「連帯」といった複数人でいることだけでなく、
それによる精神的な満足感が必要だと考えます。

だから、誰かとのつながりを感じられたり、それ以外の感情のほうが、
よっぽど自分にとって深刻だと感じられたりすれば、孤独感は感じません。

よって孤独の対義語は「繋がりによる満足」ではないでしょうか。
もっと端的にいれば「愛」と言えるかもしれません。

誰かとつながっていることによる満足感や、
ものや動物と強い愛情で結びついている満足感によって、
孤独感を感じることはなくなるということは容易に考えられます。

 

孤独を感じると体に起きる変化

社会的な断絶感を持つと食べ物が美味しく感じられる

ある実験で後々チームを組むことがわかっている参加者を、
お互いに全員とコミュニケーションさせてから2つのグループに分けました。

1つのグループは「誰しもがあなたとチームになりたがっている」と伝えた人たち、
もう一つのグループは「誰もあなたと組みたがっていない」と伝えました人たちでした。

その後、クッキーを自由に食べて良いと伝えました。

すると「誰もあなたと組みたがっていない」と社会的な断絶感を持たされた被験者は、
平均で9枚のクッキーを食べました。

これは「誰もがあなたと組みたがっている」と告げられた被験者が食べた量の2倍でした。
社会的な断絶感は太りやすい食べ物に対する食欲をそそることがわかりました。

また、日常生活で孤独を感じている中高年の人たちも、
高脂肪食品の摂取量がかなり多いことがわかりました。

孤独感の標準偏差が1上がるごとに摂取する脂肪のカロリーは2.56%増えるのです。
「ストレスが溜まると食べすぎてしまう」のは、
あなたが孤独を感じているからなのかもしれません。

孤独感は脳に「痛み」として伝わっている

サイエンスに掲載された論文では、孤独感は社会的な痛みであると言うとき、
それはただの比喩にとどまらないということを示唆しています。

機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を使うと私たちが拒絶を経験したときに、
活性化する脳の情動領域(背側前帯状皮質)は、
じつは身体的な痛みに対する情動反応のシグナルもうけとっているのです。

転んだり、殴られたから「痛い」のはよく分かるが、
孤独だから「痛い」というのは原因がはっきりとはしません。

しかし、自分のフレームが孤独感でいっぱいになっている状態は決して正常でないです。
満たされていない欲望や希望により孤独感を感じているのなら、
その痛みを如何にして緩和するかにもっと真剣になるべきかもしれません。

どうやって孤独感から逃れるか

孤独感につながっている刺激の受け止め方を変える

先程、孤独感を感じている人は少なくないこと、そして孤独感によって問題が生じるのは、
「孤独感のせいで本来の社会的技能を発揮しづらくなった場合」ということ。

そして、社会的に孤立を感じやすくなっているので決して自分のせいではないということ。

また、一見して社交的であろうがなかろうが、孤独感を感じるかどうかは人による。
隣の一見元気な人は孤独と戦ってるかもしれないということもご紹介しました。

まず、そういう客観的な事実を知ることですこし心も安らぎます。

その後に自分の孤独感をもたらしている原因らしきものを紙に書いて挙げてみましょう。

その際は誰かに相談できることというのは大事です。
東京都の電話相談やいのちの電話なども使ってみてはいかがでしょうか。

そして、自分からそうしやすい環境に身を置けることが大切です。

例えば、あなたが社長になりたかったり、政治家になりたいと思ったことがあるとして、
「明日からあなたは大企業の社長ですとか大統領です」とか言われますか?

そんなことは絶対にないのです。

自分以外の誰かが自分に都合のいいように計らってくれることを期待できません。
「自分から立候補したり、自分で努力したり、人にしたり」するしかありません。

だから自分の知識や技能の恩恵にあずかるために、
必要な自己調整能力を回復させたいと思ったら刺激の受け止め方を変えることが必要です。

不安や孤独感を誰かに打ちあけるということで自分の思考の整理ができるのです。

だれかが解決策を提示してくれることはないと理解した上で、
相手に相談するというのは壁打ちのように、
自分の考え方を伝えてみることで「ハッと」するきっかけを掴むという意義があります。

自分がどういうふうに生きたいかが決まればやることも決まる

自分がもっている力を生かすときに孤独感でその能力が阻害されてしまっているなら、
自分なりにその孤独感をどう受け止めるかを見つけられるかどうかは大切です。

そのために誰かに打ち明けたりする必要があります。
親や友達は近すぎる関係だったりするので、専門の相談員さんなど聞く力の高い人が必要です。

そして、一気に追い込まないことも大事です。

自分にとって何が優先的なのかを決めて一気に取り組まないこと。
そのうえで、自分が孤独感を感じる場面を記録して、
その場面をできるだけ減らすように動いてみると良いでしょう。

家にいるときに孤独感を感じるなら、一度実家に戻ってみたり、
カフェで勉強したり、自習スペースをレンタルしたり、
恋人と一緒に住むようにしたり、いろいろ考えられます。

それを実行するにはどうしたら良いかを目的から逆算して1つづつ取り組みます。
そのとき、他者が関係するようなものは、
自分の思い通りにはならない可能性があることは忘れてはいけません。

思い通りにならない時も相手に期待しすぎず、引きずりすぎず、最後には感謝できるように、
心を持っていけると将来的にも良い関係性が築けると思います。

まずは自分の判断やお金なのでどうにかできるものから試しにやってみると良いでしょう。
ちょっとご飯を食べに外に出てみるなど、
いつもとはちょっと変えてみるだけで新しい出会いがあったりして、
孤独感を感じる暇もないくらいに気分も俄然変わってきます。

孤独と向き合うために読みたい3冊の本

孤独の科学 人はなぜ寂しくなるのか

孤独の科学 人はなぜ寂しくなるのか (河出文庫)
河出書房新社 (2018-03-16)
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今回の記事においては「孤独の科学」を中心に考えてみました。
哲学的・心理学的な思考法としては「愛するということ」や「嫌われる勇気」が名著です。

愛するということ 新訳版

 

愛するということ 新訳版
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エーリッヒ・フロムの名著「愛するということ」です。

愛することには技術が必要。その技術は小手先の心理掌握術ではなく、
自分の人格を高める努力、能動的に愛すること、自律することであると断言します。

本の要約サイト「flier」ではこのように要約されています。

「愛する」という行為は、音楽や工学などと同じく「技術」を要する。
技術を身につけるためには、自分自身の人格全体をより優れたものにするよう努力しなくてはならない。

人は自分が孤独な存在だと知っており、その恐怖から逃れるために他者との一体化をめざす。
自ら能動的に人を愛し、与えることで、相手の中にも愛を生み出すことができる。

1人で生きられない人間は、だれかと2人で生きることはできない。
愛の技術を獲得するには、自分は揺るがないと言い切る信念と勇気が必要不可欠である。

 

嫌われる勇気ー自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
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自己啓発の源流とされるアドラー心理学の原点です。
タイトルの付け方が秀逸ですが、決して自分勝手に生きればいい、
他人に嫌われようと努力することではありませんからね(笑)
気になる人はぜひ本著をお読みください。
本を読んでもすぐには解決しないかもしれませんが、
いつか血肉となるかもしれないと思ってぜひよんでみてくださいね。

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