日本の知られない言語文化を発見!不思議なろう・コーダの世界
コーダというろう者の両親の下に生まれた聴者の世界
ろう文化のなかで育ちながら聴者の世界で生きる
みなさんは「コーダ」という存在を知っていますか?
コーダとは「Children of Deaf Adult」の略称であり、
「聞こえない親を持つ聞こえる子供」です。
遺伝性の聴覚障害であっても、その遺伝性の疾患のほとんどは、
全体を見れば確率的に子供に聴覚障害が発生しないことのほうが多いのです。
(厳密に言えばその原因となる遺伝子がメンデルの法則に従います)
よって、両親がろう者であったとしても子供は聴者ということが普通にあります。
このコーダと呼ばれる人々は小さい頃から親と聴者をつなぐ存在になります。
買い物や出先で親に音声を教えたり、通訳することもあると言います。
もちろん、子供に負担を掛けてはいけないと考える親もいますが、
子供として親が聞こえないという事実を認識したときに、
何か自分ができることをついついやってしまうのかもしれません。
コーダはろう者としての感性を持っている聴者
聴覚障害者と言っても、大きくろう者と難聴者という二つの世界があります。
とは言っても、少し聞こえるのにろう者を名乗る場合もあるし、
ほとんど聞こえていなくても難聴者として生きる人もいるので、ややこしいのです。
しかし、両方聴力が原因となり生活に支障をきたしているということでは同じ。
コーダは両親は障害者ですが本人はそうではないので健常者です。
しかし、ろう者の親の下に生まれているためろう者の文化を良く知っています。
例えば、ろう者は日本手話を主に使いますが手話は視覚的な言語です。
「ろう文化」では、曖昧な部分をなくし透明度を高くしておくことが、高い価値を持つ。
なぜ今いないのか、どこで何をしているのか、全体の見通しがつくという安心感は大切なのだ。p.33
常に「見える」ことが重要になるためかなり透明度の高い環境となります。
よくろう者の集まりでは「あの人はどこにいる」、
「あの人はどうなった」という話になりますが、
非常に個人的なことまで詳しく知っているので驚きます。
すぐに仲良くなるという意味では楽しいかもしれませんが、
ちょっと透明度が高すぎるという感覚を覚える人もいるかもしれません。
視覚的な認知能力が高いのはろう者と共通?
成蹊大学准教授の澁谷智子准教授によると、コーダは知覚認知能力が高いとされています。
コーダは相手の目を見たいのである。表情を確認したいのである。
相手の目を見なければ、本当に言いたいことが伝わらないような気がしてしまう。p.38
これは、ろう者の世界で主に視覚的な手段に、
コミュニケーションを頼ってきたことが理由です。
両親やその周りの人が手話で会話をしているのですから、
幼い頃から、たとえ手話はできなくても視覚的な表現に慣れ親しんだはずです。
面白いのはコーダは文字ではなく動画的な思考をするということです。
旅行の準備は、実際に旅行にいった情景を頭のなかで映像にしてシミュレーションしながら準備するという話だった。p.43
ろう者は夢の中でも手話を使うと言いますから、
何かを思い出すときに動画的に情報を思い出すということはあり得る話です。
ちなみに、みみなびのメンバーにも、
「夢」についてどう見ているのか聞いてみたことがあります。
それぞれ、違った感覚で夢を見ていて面白いですよ〜
https://ohmiminavi.co.jp/2018/11/09/aru-sound-dream/
聴者は聞いたことに答えない?
私は「聴覚障害者ってアメリカ的だな」と常々思っていました。
もちろん、いろんな聴覚障害者がいるので一概にいえないのですが、
生まれつき聴覚障害でほとんど聞こえてないとされる場合は、
特に「自分発の会話」や「Yes/Noのはっきりした会話」をする人が結構いると感じます。
「来た?」と訊いたら、まず「来た」「来ない」と答えるものだという感覚が、手話話者にはかなりはっきりあるらしい。
逆に、言葉で表されたことに対して必ずしもストレートに返さない日本語は、コーダにとっては難しく感じられるときもあるらしい。
特に、”言葉の綾”というのだろうか、相手が言っている言葉の意味そのものと実際に相手が想定しているふるまいがずれている場合には、
言葉の裏にある意図がとれなくて失敗してしまったと思うこともあるようだ。p.50
日本手話での会話でも「いる」「いない」はもちろんですが、
前回紹介したように「お昼にしましょう」という会話はありません。
ご飯が食べたかったら「ご飯を食べましょう」とはっきり言う必要があります。
この辺りは中国人やアメリカ人と話す感じに近いと思います。
中国人やアメリカ人がはっきりしているのは、
そもそも国内に色々な文化を持った人がいて、
質問が抽象的すぎると背後のニュアンスを勘違いしてしまうからではないかと考えます。
その意味では日本手話は同じ文化を持っている人同士の言語ではありますが、
視覚的な表現を用いるということからどうしても「見ていなければならず」、
できるだけ端的に伝わるように遠回しな表現を避けていったのかもしれません。
また、音声言語に比べると詰められる情報量としては多いものの、
その表現には個人差が大きいので、伝わりやすい表現に落ち着いたのかもしれません。
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続・勘違いの多い手話単語
「確かに言われてみれば」と唸ってしまう手話表現
手話は日本語に比べると直接的な表現が多いという話をしました。
前回の記事ではろう者のニュアンスが難聴者や聴者に勘違いされやすいことを、
ご紹介しましたが、今回も少しだけ面白い手話単語をご紹介します。
https://ohmiminavi.co.jp/2019/07/11/sign-language/
日本手話:「生前」
「祖父は生前農業を営んでおりました」という文章を手話にするときに、
「生前」という単語をどう表現するのでしょう。
「生まれる+前」ではなく、「亡くなる+前」と表現する。p.13
そのまま訳すと「生まれる+前」ですが、
それだとそのまま「生まれる前」になってしまうので、
「死亡する+前」と表現します。
日本手話:「猫ババ」
「あいつはネコババした!」という表現を手話にするときに、
ネコババとは何かについて考えないといけません。
そもそもねこばばは「猫が糞に砂や泥をかけて隠すことから、悪事を隠すこと。」とされています。
つまり、何かを盗んだり悪いことをしたときに隠すということですから、
「猫+おばあさん」ではなく、「左手のひらの下から右腕を出して前にあるものをつかみ取るようなしぐさ」をする p.13
というわけです。
意外ととっさに表現しようと思うとできませんね!
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いかがでしたでしょうか。
実は聴覚障害者の中でも、意外と知られていないろう者の世界を少しだけ覗いてみました。
「これだけ文化が違うと大変なのでは」と思われる方もいるかも知れません。
まさに「そのとおり」なのです!
障害者である以前に健常者も含めて全員が一人の人間ですので、
やはりコミュニケーションというのはみんなが意識したいなと感じます。
みみなびではすべてのみみに関する悩みと難聴による孤独に寄り添うために、
今後も情報発信を行ってまいります!ぜひ温かい目で応援お願い致します。