【体験談】健聴者と一緒に学んだ2人

健聴者と一緒に学んだ2人

聴覚障害者が小学校、中学校、高校で教育を受ける場合、特別支援学校と一般校(障害の区別なしで通うことのできる学校)の2種類があります。
ここでは一般校で健聴者と共に学んだ かわちめ と まずにき の2人が、昔を振り返ってみました。

2人の来歴

かわちめの来歴
  • 小学校
    地元の公立小学校に入学。
  • 中学校
    地元の公立中学校に入学。
    高校受験の時期だけ週2回家庭教師をつけていた。
  • 高校
    私立高等学校に入学。

かわちめ

ずっと健聴者に囲まれて暮らしてきました。
他の聴覚障害者と交流したのは大学生になってからです。
まずにきの来歴
  • 小学校
    地元の公立小学校に入学。
    小1のとき引越しに伴い転校。
    小5−6のとき週1回家庭教師をつけていた。
    隔週1回、他校の「きこえとことばの教室」に通っていた。
  • 中学校
    地元の公立中学校に入学。
    週2回塾に通っていた。
  • 高校
    公立の高校に進学
    週2回塾に通っていた。
小学生の頃に「きこえとことばの教室」に通ってはいたものの、自分以外の聴覚障害者と交流するようになったのは大学生からです。

まずにき

学校の過ごし方

小学校

小学校の頃、求めた配慮について何か覚えてる?

まずにき

かわちめ

自分で配慮をお願いしたことは特になかったと思う。
親のほうで学校に対して「席の位置は教壇の近く」とか「テストに関わる大事な内容は黒板にしっかり書いてほしい」といった配慮をお願いしていたみたい。
この時期って、自分より親が色々決めてた感じはあるね。
私がきこえとことばの教室に通うということも親が決めてたし。
ちなみに、私の場合は席替えのときは一番前とかそういう配慮はなかった。

まずにき

かわちめ

学校の授業に関しては、この時期だと音楽が苦手だった。
姉の影響でヴァイオリンは習っていたけど、学校のリコーダーは全くできなかった。
弦楽器は振動があるからわかりやすいんだけど・・・。
同感。音階区別できないせいか、リコーダーのような振動しない楽器は苦手だった。
打楽器とか、リズム感が重視される系の楽器は得意だったけど。

そういえば、国語はどうだった?
授業の時に教科書の音読もあったよね。

かわちめ

小学校は席が二人一組だから、音読の時は隣の子が読む場所を教えてくれた。
だから、国語の時間はそんなに苦手意識はなかったね。
私の学校もそうだった
国語に限らず、教科書のどこかわからないときは教えてもらってたよね

まずにき

2人のまとめ
子どもまだ自分の障害について十分に理解していない時期なので、必要な配慮に関しては親が学校と調整します。
聞こえないゆえに、授業では音楽を苦手と感じる子どもが多いかもしれません。

中学校

かわちめ

地元の中学校だったから、同級生の顔ぶれはほとんど同じ。
そういう意味では、進学による大きな変化はなかったね。
同じく。地元から進学だから、そんなに変化はなかったね。
特に変わったことといえば部活くらい?
個人競技系のスポーツだったけど、いま振り返ってみると無難だったかも。
団体競技だと連携とかコミュニケーション面でうまくいってなかったかもしれない。

かわちめ

俺は部活は文化系のところに入った。
運動は好きだったけど、朝練が嫌だったから笑
正直朝練は好きじゃなかったなー

そういえば、この時から英語の勉強始まったよね。
聞いて覚える前提だからか、最初の頃は頭に入ってこなくて苦手だったけど、かわちめは?

かわちめ

俺もダメだった。
最初に苦手意識がついたせいで、受験勉強が始まるまでの3年間の成績はひどかったよ。
外国人の先生なんて、日本語でも何言ってるのかよくわからないし・・・。
私の場合は、中学校入ってから塾通い始めて、英語もやってたんだけどその時は英単語だけじゃなくて、発音記号まで覚えさせられてたから大変だった。
あと、英語のテストのときなんかリスニングがあって、その時は別の筆記問題用意してもらって受けてた。
他の人以上に暗記しないといけなかったからか、なんだかんだで苦手意識無くなって、発音記号のおかげで口話での英会話も最低限できるようになったし。

かわちめ

俺は高校受験のときに、父親に教わってから苦手意識がなくなったかな。
あとは、受験の時期だけ週2回家庭教師を招いて、他科目も含めて勉強したね。
まずにきの受験のときはどんな感じだった?
勉強の方は、成績は悪くなかったし塾にも通ってたから、そんなに苦労はしなかった。
推薦で受験したんだけど、面接があってその練習が一番苦労したかも。

かわちめ

俺の場合は志望校に合格するための勉強は大変だったけど、聴覚障害ならでの苦労みたいなのはなかった。
学校選びの基準は、家から遠くなくて、今の自分よりワンランク上を目指そうって親と決めたくらい。
ずっと健聴者と生活してきたから、ろう学校っていう選択肢はそもそも思いつかなかった。
私の場合、ろう学校という選択肢もあったけど、将来やりたい事決めてて、その分野に強い高校を選んだ。
当時の自分よりランクが高いわけでもなかったので、勉強よりは面接の方に力を入れたかな。

2人のまとめ
地元の学校から進学した場合、同級生との関係も継続できるため、自分の障害について理解を得られやすいです。
ただし、中学校から始まる英語の授業は、ヒアリングできることを前提とした教育のためか、はじめは苦手意識を持つ傾向があります。

高校

高校からは顔ぶれも変わるから、小学校から中学校に進学したときより自分の障害を理解してもらうのにちょっと時間かかったかも。
授業面での配慮は、中学校のとき配慮してもらってたことを学校側に伝えて、取り入れてもらってた。

かわちめ

中学からの知り合いが一人もいない高校に入学したから、人間関係は最初から構築することになったね。
俺の場合は陸上部に入部して、そこから友達を増やしていった。
授業面での配慮は特に何もお願いはしなかった。反抗期であんまり干渉されたくない時期だったからね。
私は中学の部活で朝練苦手だったのと、家からそれなりに遠かったから早起き嫌だったのもあって、文化系の部活に入った笑
2年になってからは、文化系の部もう一つ所属して、掛け持ちで活動してた。
どっちもパソコン使う部活だったから、この頃はチャットでのコミュニケーションが一番多かったかも。

かわちめ

今はLINEがあるから、便利になったね~。
2人のまとめ
基本的に人間関係がリセットされるため、自身の障害については子どもが自分で周りに伝える必要があります。
人間関係に苦労する反面、自分の障害について理解を深めるきっかけにもなります。

最後に

健聴者と一緒に学ぶ場合、人間環境や一部の科目などで苦労することもあります。
ただ、社会人になって健聴者に囲まれて仕事をしていると「あの時の苦労も無駄ではなかった。」と振り返ることができるようになりました。

「特別支援学校と一般校のどちらに進学するべきか」ということについては色々な考えがありますが、一般校への進学を考えている方の参考になればと思います。
その他、気になることや疑問があればコメントに投稿してください!

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