【No.2さんの体験談】親からみた「聴覚障害児」と生きるとは

第2回は男性の聴覚障がいを持って生まれたお子さんを育てた、親御さんの声をお届けいたします。
お子さんと話し合いながら道を選ばれて来たということがひしひしと伝わってきます。家族全員で手話をつかって話しかけられたらという理想、ぜひ多くの子どもがそういう家庭で育ってほしいですね。

アンケートにお答えいただいているときのお子さまのご年齢を教えてください

27歳

お子さまの性別を教えてください

あなたのご年齢を教えてください

50代

あなたの性別を教えてください

お子さまが聴覚障害と判明したのはお子さまが何歳のときですか。(中途失聴のお子さまは中途失聴されたご年齢でお願いします)

4歳半

お子さまの聴覚障害が判明したとき、どのような気持ちでしたか

毎日が2児の育児に奔走する中、下の子の重度難聴が分かった。何でこの子が、どうやって育てたら良いのか?。明日が見えなかった。私が代わってあげれたらと思った。思い続けている。

どのように通院・教育をされていましたか。また、その時どのような気持ちでお子さまを見てきましたか。

息子の様子がおかしいと気づいた時、まず身体障害者センター(現在は無くなっている)に相談。お母さんの気にし過ぎ又半年後に…。と言われ更に同所で阪大の医師の診断を受ける。
知的障害を含む検査の為複数回通い、その行程の中の聴力検査で技師の方に「聞こえてないので計れない」と言われ、改めて神戸大学附属病院でABRを受け、ほぼ聞こえていないと判明した。
障害者手帳の申請、学校の選択など複雑を極めた。
結果、健聴の幼稚園、地域の小学校へ通学し、その間は聞こえと言葉の教室に週2回通級した。中学は難聴学級のある学校を、本人と相談のうえ選択した。
高校は公立高校の情報科。大学は筑波技術大学へと進学した。小学校の時はボランティアの学生さんにノートテイクをして頂いて感謝している。心無いいじめを受け、何度も小学校へ様子を見に行った。この頃が一番母として苦しかったかも知れない。
中学からは自身の力で困難を乗り越えて来たのだと思う。社会人となった息子、今 仕事が楽しいと言っている。嬉しく頼もしく思う。それでも尚、彼の耳になれたらと思い続けている。

今だから思う「こうしておけばよかった」と思うことはありますか。

最も沢山話をしておけば良かったと思う。

あなたにとって自分のお子さまとはどんな存在ですか

私自身より大切な存在。

今、まさに聴覚障害のお子さまの子育てに奮闘している方へお伝えいただけることはありますか

お子さんが手話をされるのであれば家族一同で手話を覚えて口話+手話で沢山会話をしてあげて欲しいと思います。
(我が家では私しか手話が出来ないので残念です。これは私の理想です。)

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