【No.6さんの体験談】親からみた「聴覚障害児」と生きるとは

第6回はお子さんに厳しくしすぎたことを少し後悔されていながらも、たくましく育ったお子さんを誇りに思う親御さんの声です。自分と子どもの関係の大切な思い出を余すことなく答えてくださいました。
これからもみみなびでは多くの経験のある親御さんたちの声を、このメディアを通して発信していきます。そして、少しでも多くの悩みを持つ親御さんの聴覚障害児を育てることへの不安を解消できればと考えています。

アンケートにお答えいただいているときのお子さまのご年齢を教えてください

25歳

お子さまの性別を教えてください

あなたのご年齢を教えてください

50代

あなたの性別を教えてください

お子さまが聴覚障害と判明したのはお子さまが何歳のときですか。(中途失聴のお子さまは中途失聴されたご年齢でお願いします)

生後10ヶ月の時 一度 痙攣のような仕草があり気になり一応 大学病院で検査をしたのですが 異常はなく、そのついでに視覚と聴覚の検査もしてみましょうと言われ何気なくした検査で偶然判明しました。
日常の生活では、はじめの子だったので聞こえていない事にも気づいていなかったので その事が早期判明に繋がって良かったと思っています。

お子さまの聴覚障害が判明したとき、どのような気持ちでしたか

周りに聴覚障害の方が居なかったし、今のようにネットなどで簡単に情報を得られなかったのでどうしたらいいのか分からず これからどう進んで行けばいいのか分からず不安でした。

どのように通院・教育をされていましたか。また、その時どのような気持ちでお子さまを見てきましたか。

大学病院からヒヤリングセンターを紹介していただき そこから当時のろう学校の乳幼児教室〜幼稚部で学びました。
その後仙台市立南材木町小学校の聞こえの教室に在籍し算数や国語などの教科は聞こえの教室で普通クラスと聞こえの教室を行き来しながら学びました。
卒業後は聴覚支援学校の中学部 高等部で学びました。先生方にはとてもお世話になりました。その後筑波技術大学に進学し情報保障に溢れる環境で学び卒業しました。たくさんの方々に支えて頂き自立した娘に育てて頂きました。

今だから思う「こうしておけばよかった」と思うことはありますか。

3歳の時に滲出性中耳炎になり入院病院通いもいい思い出です。
自立した娘になって欲しいとの思いから厳しくし過ぎた事を後悔しています。私が思うより本人はしっかりしていて 着実に成長していたのに気づかず 口うるさくなっていたと思います。もっともっと楽しい日々を過ごさせてあげたかったと思います。

あなたにとって自分のお子さまとはどんな存在ですか

今では私よりもしっかりしていて私にとっても 妹や弟達にとっても誇りに思える娘です。
娘には色々なことを教えてもらいました。

今、まさに聴覚障害のお子さまの子育てに奮闘している方へお伝えいただけることはありますか

お子さんも親御さんも たくさんの方関わる事って大事だと思います。
それと同じ悩みを持つ親同士は途中色々な事があり仲間割れしたり色々ありましたが今でもほかのママ友とは違う絆を感じます。たまにしか会わなくても 一生涯の友人達になると思います。

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