ユニバーサルデザインへの一考|ITは聴覚障害による情報格差を埋めるか?
聴覚に支障がある人の情報ツールとして人気なのはスマホ
国際ユニバーサルデザイン協議会(IAUD)による聴覚に支障がある人へのアンケート調査
購入する商品を選ぶための情報を収集するツールとして、
聴覚に支障がある人たちの間でスマートフォンの人気が最も高いことが、
一般財団法人「国際ユニヴァーサルデザイン協議会」(IAUD、横浜市)のアンケートで分かった。
時代の変化に伴い、テレビは長年保った1位の座から陥落したが、
僅差で2位にとどまり、依然、重要なメディアと認識されていることも判明した。
商品情報の収集ツールとして聴覚に支障がある人は、
スマホを一番使っていることが分かりました。
みみなびでもこうしてインターネットを使った情報発信や、
サービス開発を行っており、これからはこの傾向はますます加速するでしょう。
なお、聴覚障害者と難聴者をあわせたグループで、
商品情報の収集ツールとしてよく使われているのは、
スマホの次は、2位テレビ、3位雑誌、4位カタログ・チラシ、5位店頭でした。
一方で聴者(耳が聞こえる人)は3位に店頭がランクインしたと言います。
今回の記事のソースを探してみたのですが、
まだ公開されてはいないようでした。
割合や選択肢がわからないのであくまで推測になりますが、
一般的な商品やサービス情報収集のツールとしては、
すでに約8割の方がインターネットを活用しており、
本や雑誌を活用する人は3%程度です。
あくまで日本語が理解できる聴覚障害者ということであれば、
インターネットを活用した情報発信はユニバーサルデザインとしては効果が高いと言えます。
また、インターネットでの情報はあくまで発信者の提供する情報のみ得られますが、
ヤフー知恵袋やAmazonの質問欄を利用することで、
こちらが疑問に思っている点を聞くことができるのも良いところですね。
一方で日本があまり得意ではない聴覚障害者は、
文字および音声情報から情報を手に入れることが難しいため、
十分な情報収集と判断をすることは難しいといえるでしょう。
情報保障はIT・インターネットによって満たされるのか?
このようにスマホを活用した情報収集が手軽にできることは、
聴覚障害者に限らず、多くの障害を抱える人にとって、
とても意味のあることだと言えます。
聴覚障害者がよく使う言葉に「情報保障」というものがあります。
情報保障とは、人間の「知る権利」を保障するもの。
いつでも、誰も情報が伝わらない状況に陥る可能性がある。
特に聴覚障害者は、音声によって提供される情報や会話を理解できないため、
日常的に情報から疎外されているといえる。そのため、一般的に「情報保障」とは、聴覚障害者に対する
コミュニケーション支援を指して用いられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E4%BF%9D%E9%9A%9C
これまでの情報保障は手話通訳や要約筆記、筆談や字幕といったものが、
主な手段として用いられてきました。
これらの情報保障手段は、情報を伝えるという点に関して言えば、
どれも有効ではあるのですが、聴覚障害者の療育環境や文化によって、
どれが最も良いのかについては決めることができません。
加えてこれらの手段はどれも提供するのに極めて高いコストが必要です。
協力者の方もこれらの手段を使う努力をしなければうまく使えません。
また、知ることができることは極めて大切な権利である一方で、
ただただ情報を受け取ることだけが重要なのでしょうか?
社会生活においては情報を受取り、それを自分の中で解釈し、
自らの意見としてまとめ、最後に自らの意見や考えを伝えることに価値があります。
一方的に情報を受け取ることができる、情報を取捨選択できるというだけでなく、
障害者も情報を発信できる、対話できてこそのの情報保障と考えます。
日本語が不自由な一部のろう者や、発話が困難な先天性聴覚障害者は、
相手に自分の意見を伝えることが困難ですが、
こうした重度の障害があっても意思を伝えることができれば、
究極的なユニバーサルデザインになるかもしれません。
また、口話では難しい意思表示も、
インターネット上での言論活動はできることがあります。
最近はツイッターやブログ等で盛んに交流されている方を見かけます。
こうした意味においてもインターネットは単なる知る権利の保障だけでなく、
聴覚障害者のコミュニケーションをゆるやかに支援することにつながっていると考えます。
聞こえる人と同じ情報を手に入れたときに何をしたいですか?
今回取り上げた国際ユニバーサルデザイン協議会の報告書では、
次のように結論づけています。
協議会は今回の調査を通じ、聞こえる人も聞こえない人も対等に情報を得られる環境整備が必要と結論。
「来年の東京五輪・パラリンピックを控え、
さまざまなメディアで多言語対応だけでなく、
聴覚障害者への情報格差もなくしていくべきだ」と提言した。
まだまだ、世の中には聞こえることが前提に設計されているシステムがたくさんあります。
特に公共交通機関や公共サービスではこうした際に不利益がないように、
十分に聴覚障害者にも情報を伝える努力が求められるでしょう。
一方で、情報というのはその人によってその価値が大きく異なります。
例えば映画をみたいと思っても字幕がなく、あきらめるのはがっかりしますが、
CMの字幕がついていなくてもテレビを見ないので関係がありません。
誰しもが必要だと感じる情報というのは意外と多くないんじゃないかと思います。
ユニバーサルデザインの概念で情報が保証されつつありますが、
その情報を自分はどう活かしたいのかということをあまり聞いたことがありません。
また、こうした自分の意思で得る、得ないを決める取捨選択が意味を持つシーンもありますが、
日常の何気ない情報というのもまた人生を趣深いものにします。
例えば、秋の虫の声や葉がかすれる音はどうでもいい音とも言えますが、
ふと耳を澄ましたときにこうした音が自分の感情と重なり合って、
なんとも言えない深みのある思いに駆られたりするでしょう。
音が聞こえなくても夜空を見上げたり、夕暮れにたそがれたりするとき、
同じような落ち着きを覚えることがあります。
https://ohmiminavi.co.jp/2019/09/20/hearing-aid-4/
私個人としてはこうした何気ない瞬間を大切にすることが、
一番人生が豊かになるんじゃないかと感じてきました。
自分もかつて人に負けないように本を読んだり、勉強して、
成績を上げて認められる、負けないようにすることに努力してきましたが、
それがものすごくストレスだったということを自覚したのは最近です。
情報の取得を追い求めても終わりはありません。
自分が社会とどうか変わりたいのか、そのために何がハードルなのか、
健常者と障害者の両方にとって望ましい方法はないのか。
究極的には同じ人間として「どうしたら満たされるのか」という同じ問いを、
つきつめて、課題解決をしていくことが、
最強のユニバーサルデザインなのではないでしょうか。